がん治療研究に大きな変革をもたらす「富岳」 x AIのパラダイムシフト

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人生100年時代と言われる今、単なる長寿ではなく、健全な心身状態を保ちながら健康寿命を伸ばすことへの関心が高まっています。しかし、現在も死因として世界で第2位(注1)、日本では第1位(注2)に位置するがんは、明確な治療法が確立されておらず、患者にとって「うまく付き合って共存していく」道を選ぶことになる病です。そのため、新たな治療方法の迅速な確立が求められてきましたが、理化学研究所と富士通が共同で開発したスーパーコンピュータ「富岳」は、その世界最速のコンピューティングパワーを高度なAI技術と組み合わせることによって、新たな治療方法を迅速に確立するための強力なツールとして活躍し始めています。

(注1)WHOのがん情報ページ:https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/cancer(英語サイト)

(注2)厚労省統計による死因順位における悪性新生物:https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii09/deth8.html

手探り状態のがん研究の切り札となるAI

統計からも分かるように、日本ではがんによる死因が世界よりも高率であり、日本人の2人に1人が患い、3人に1人ががんで亡くなる状況です。まさに、がんは人類にとって大きな脅威と言える深刻な病であり、その治療方法の確立は、大きな社会的課題ともなっています。しかし、従来のがん研究には乗り越えることが難しい障壁がありました。

がんは、遺伝子の変異(異常)によって引き起こされることが分かっていますが、これまでは、一つ一つの遺伝子ががんに関係あるかを解析し、それを狙い撃ちするような研究が主流でした。しかし、2万個を超えると推定される人の遺伝子全てをあたるだけでも膨大な時間がかかります。しかも、実際の遺伝子は単独で機能せずに他の遺伝子との相互作用によって機能しており、その組み合わせが複雑さを増していました。加えて、そうした大規模な遺伝子ネットワークのどこに着目すべきかがわからないため、研究は手探り状態で行うしかありませんでした。これが、従来型のがん研究が直面していた問題だったと言えます。

この閉塞的な状況にブレークスルーをもたらす可能性を秘めた技術が、医療分野へも普及が進むAIです。AIによってがんと遺伝子の分析方法にパラダイムシフトが起これば、人によって異なる遺伝子に合わせてパーソナライズされた治療への道も拓けます。つまり、個人に特化したがん治療が可能となるため、がん患者の治癒率の改善や負担軽減に繋がり多くの命を救うことができるようになるのです。

がん研究の世界的第一人者が着目した富士通のAI

こうしたAIのがん研究への応用は、遺伝子ネットワーク探索研究の先駆者で、がんゲノム(注3)研究の第一人者(注4)として知られる東京医科歯科大学M&Dデータ科学センター長の宮野 悟教授が、以前から期待していたものでした。特に教授が着目したのは、富士通が30年前から開発に取り組んできたAI技術の中でも、「ディープテンソル」と呼ばれる機械学習技術です。

ディープテンソルは、人やモノの繋がりを表現できるグラフ構造のデータに対して高精度な分析を可能とする富士通独自の技術であり、その土台となるテンソル分解(注5)をAIに応用する研究は10年前から行われてきました。遺伝子ネットワークもグラフ構造のデータなので、ディープテンソルを適用することによって、特定の予測の精度を最大化する成分を効率よく抽出できるのです。

この宮野教授の着想と富士通のAI技術との結びつきによって、遺伝子ネットワークと上皮性がんの浸潤(注6)・転移との関連を予測する研究がスタートしたのは3年前のことでした。

ところが、この予測に必要な計算は既存のスーパーコンピュータでは数ヶ月かかるほど複雑なものであり、期間が長くなればそれだけエラーの発生率も増え、設備の占有につながるために現実的ではなくなるという問題を抱えていました。

しかし、ボトルネックとなる計算速度の問題が解決されれば研究が一気に加速するという観点から、この取り組みは、文部科学省のスーパーコンピュータ「富岳」成果創出加速プログラム(注7)に採択され、ディープテンソル x 「富岳」という最先端技術の組み合わせが、AIを応用したがん研究を大きく飛躍させることになったのです。

(注3)DNAの文字列で表された遺伝情報の全て

(注4)Computational Biologyに関する世界最大の学会であるISCBのFellowに日本人で初めて選出:https://www.iscb.org/cms_addon/fellow/iscb-fellows-program.php(英語サイト)

(注5)行列等の多次元配列のデータを数学的に表現したテンソルを、より次数の少ないテンソルの積和で表すことを指し、そのデータを使った計算の処理速度を速めたり、そのデータが表すものの性質が明確になるメリットがある

(注6)がん細胞が周りの正常細胞や組織を壊しながら移動していくこと

(注7)スーパーコンピュータ「富岳」を用いた成果を早期に創出することを目的とした、文部科学省による事業

説明可能なAIの高い信頼性と大幅な計算時間短縮を両立

一般的なAI技術の弱点として、それが導き出す予測や推論の理由や根拠を示すことが難しいという点が挙げられます。従来は、このことが医療や金融等の信頼性が求められる分野に対するAIの適用を妨げる要因となっていました。しかし、ディープテンソルは推定結果に対する理由を出力することができ、さらにその理由を過去の文献やデータベースから取り出した知識と結びつけて根拠を論理的に説明することが容易な「説明可能なAI」であるという特徴を持ちます。その結果、膨大な遺伝子ネットワーク全体をくまなく考慮しながら、効率よく重要点を取り出すことができ、人間が解釈するのに必要な労力が劇的に軽減しました。

また、必要とされた処理の規模は、約2万個の各遺伝子間の関係、つまり2万×2万の組み合わせを1000通り計算するという膨大なものでしたが、「富岳」はこの計算をわずか1日以下で完了。過去10年以上に渡る上皮性がんに関する研究(注8)でわかってきた、がんの浸潤や転移に関する知見の全貌が、学術的な観点で一度に示されることとなったのです。

(注8)上皮細胞から発生するがんで、研究促進によって肺がん、乳がん、胃がん、大腸がん、子宮がん、卵巣がん、頭頸部のがん(喉頭[こうとう]がん、咽頭[いんとう]がん、舌[ぜつ]がん等)といった複数のがんの治療開発に繋がる

大規模ネットワークが関わる社会問題の解決に向けて

実際に、このように複雑な計算にかかる時間を「富岳」によって劇的に短縮可能であると示し、医療に適応できる現実的なレベルでAIによる遺伝子ネットワークの解析を行えた背景には、長年に渡り培ってきた富士通の磐石な技術開発力がありました。

そして現在は、上皮性がん以外の様々ながんを対象とした分析や、がんの薬剤への耐性メカニズムの解明にも、このシステムの適応分野を広げていこうとしています。また、正常な細胞組織から、どのように遺伝子変異クローンが生じるのか? そして、遺伝子変異とその組み合わせがどのように細胞の形状を決定するのか? さらには、その多様性・複雑性のために研究が進んでいないゲノムの構造異常が発がんにどう関わるのか? といった事象の解明に向けての研究も進行中であり、パーソナライズ治療や治癒率の改善・負担軽減等への貢献が期待されています。

がん以外の医療分野では医薬品の薬効や副作用の予測への応用が考えられ、IT分野では、ネットワーク上でメンテナンスすべき箇所や障害の原因箇所を特定する監視業務の効率化が期待できます。また、金融分野でも不正な金融操作の高精度な検知や、融資可否の精緻な判定、企業の成長予測、優良企業の評価等に適用することが可能です。

イノベーションによって持続可能な世界の実現に貢献する富士通は、国や分野を問わず、大規模ネットワークが関係している社会的課題の解決に向け、引き続き尽力して参ります。