心臓シミュレータの技術で、医療と社会に貢献する(後編)

【未来を創るチカラ Vol.10】心臓シミュレータ研究開発リーダー、渡邉 正宏

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(インタビュー前編からの続き)
2018年4月、渡邉正宏をはじめ共同研究者三名が『心臓シミュレータによる臨床研究』で科学技術分野の文部科学大臣表彰において科学技術賞研究部門を受賞しました。2008年に東京大学とスタートした心臓シミュレータの研究開発は今、医学教育現場をはじめとして実社会で活かされ始めています。

心臓シミュレータを臨床に活用した最初の事例

「受賞した研究は、CRT-P/-D(重篤な心不全患者に対する心臓再同期療法で用いる特殊なペースメーカー)の適用効果を施術前に検証できるようにする技術です。心臓シミュレータを患者さんのための臨床に活用する研究として、JST(国立研究法人 科学技術振興機構)内プロジェクトFIRST(内閣府の最先端研究開発支援プログラム)のテーマの一つとして2013年からスタートしました。

私たちの心臓は一拍でコーヒーカップ約1杯分の血液を送り出すのですが、左右の拍動のタイミングがずれて血液が十分に送れなくなる症例があります。その治療として装置を人体に埋め込み、電気を送ることで心臓の左右の拍動を同期させる『心室再同期療法(CRT)』があるのですが、約30%の患者さんには効果がみられません。その可能性を考えると身体的負担や高額な費用をかけて適用に踏み切ることが難しくなり、日本では適用例がとても少ないのが現状です。さらに装置の電極を埋め込む位置も、最適な箇所を事前に検証する術がありませんでした。」

「課題は、ペースメーカーCRT-P/-Dが患者さんに適合するかどうか施術前に判断できることと、埋め込む最適な位置を見つけること。これらをクリアする心臓シミュレータを私たちは開発しました。

この研究では、シミュレーションならではのワークフローを習得するまでがとても大変でした。従来のMRIやCTでは出てこないプルキンエ線維という心臓の電気伝導回路をどう表現するかという難しい問題もありました。複雑な情報を単純化するアイディアを絞ったり、手続きを効率化するためにAIを活用したり、何世代もカスタマイズするなどして精度を上げていきました。

実際にCRTを適用する患者さんのデータをもとに仮想施術を行って、CRT-P/-Dの効果を高精度で予測することに成功し、現在も予測シミュレーションの前向き臨床研究(将来どのように変化するかを追跡調査する方法)を重ねています。今回の受賞によって心臓シミュレータの臨床研究をもっと加速できたらと思っています。」

『Heart Explorer』で心臓の学びを深めてほしい

「心臓シミュレータを活用して得られたデータを、医学教育に役立てられるのではないかというアイディアが、私自身にもチームの中にもあって、『Heart Explorer(ハートエクスプローラー)』というパッケージを開発することになりました。二次元では理解しづらい心臓の立体構造や血管走行、様々な現象が連動する挙動をVRで立体視化して観察・分析できるものです。VRは、心臓のように複雑な三次元性を持ったものを表示するのにとても向いています。健康な心臓だけでなく心疾患や致死状態など、シミュレータだからこそ可能な学習もあります。

日本の医学部の入学者数は、2008年に学生数の制限を緩和してから増え続けています。米国では2023年以降、国際的な基準で資格が得られた外国医学部卒業生にのみ医師受験を許可することになり、国際基準に適合する医師の高水準化が求められています。『Heart Explorer』で学生さんたちが自学自習することができれば、先生方にとっても有益なツールになると思います。また臨床に立ち会う機会の少ない看護学生や、インターン、研修医、専門医の先生方の学び直しや、より高度な知識獲得と技能向上などにも『Heart Explorer』を役立てていただけたらと思っています。」

「2018年4月に販売を開始して、5月の富士通フォーラムの後Newsweek誌に取り上げられたり、フィンランドのヘルシンキ・セミナーVRラボでのデモ展示も好評でした。国内からスタートして、年度内に中国やフィンランド、そして世界へ展開していきます。
実医療にシミュレータ技術が浸透するまでにはまだ時間がかかるかもしれませんが、『Heart Explorer』は心臓シミュレータの価値について理解していただく一つのソリューションにもなると思っています。」

「ありがとうございます」の一言が原動力に

研究開発の険しい道のり、成果が見えるまでの苦しい日々、心臓シミュレータというイノベーションに立ちはだかるいくつもの壁を、渡邉はどのように越えてきたのでしょうか。

「メンバーの高い知識と技術、共同研究パートナーの親身なサポートによって壁を一つ一つ越えてこられたのだと思います。私自身は、世の中にこの一連の技術を出したいというモチベーションが強くあります。チームでいえば、圧倒的な水準の先生方(久田先生、杉浦先生)と向き合う中で、毎日ちょっと嫌になるくらい議論をする、でも要求される難題を何とかクリアしていくと先生方に認めてもらえる、必ず『ありがとうございます』と仰ってくださる。この一言が、うちのメンバーにはとても嬉しいことじゃないかと思います。技術課題を一個一個クリアする喜びで、これまで皆やってきたと思います。」

シミュレータだからこそできることを

「医療の世界でもICTによる様々な効率化や高精度の診断など取り組みが行われていますが、心臓シミュレータは、数少ない疾患状態の再現が可能なシミュレータであり、仮想の心臓に対して施術効果が確認できるツールです。
心臓シミュレータが実際の医療で有効に活用されていくには、これからが正念場だと思っています。そのためには医師の先生方にご協力いただいて、臨床研究を進めることが欠かせません。先生方は全部医学の専門用語で話してこられますが(笑)それにちゃんと応えていけるように、私たちも医療を勉強していかなくてはならないと思っています。」

難病の治療のために、最適な医療のために

「今後心臓シミュレータは、まだ原因の解明されていない拡張型心筋梗塞や種類の多い不整脈の病気などの研究に、そして生まれてくる子どもの先天性心疾患手術シミュレーションなどにも役立ってほしいと思っています。

いろいろなコンテンツのご要望もいただいています。将来的には私たちの開発した技術を展開して、例えば、脳の中の血液の流れのシミュレーションや、肝臓にまつわる代謝系のシミュレーションなど他の臓器についても、シミュレーションによって出てくる情報をコンテンツ化したいです。医師にとって有益なだけでなく、患者さんにより納得感のある疾患情報を提供できるようになればと思います。最適な医療に切り替えるきっかけに繋がるなど、医療に対する意識も変わっていくかもしれません。

ただこれらが、医療現場や患者さんの負担を増やしてしまってはいけません。シミュレーションが医師のワークフローの中でできるように。そして最後のゴールは医療費の圧縮と、患者さんのQOLの向上だと思っています。」

富士通株式会社
第二ヘルスケアソリューション事業本部
第三ソリューション事業部
第一ソリューション開発部 シニアマネージャー
心臓シミュレータ研究開発リーダー
渡邉 正宏

2004年大動脈硬化性病変と血流による力学的ストレスに関する研究にて博士(情報学)を取得。
その後、文部科学省ITプログラム「VizGridプロジェクト」に研究員として参画、仮想会議システムの開発や人体内の大動脈内流れ解析の研究を推進。
2007年富士通に入社、スーパーコンピュータ「京」の開発プロジェクトの中で心臓シミュレータの共同開発プロジェクトに参画。
2015年未来医療開発センター生体シミュレーション開発室長に着任、2017年より現職。
VR技術を活用した教育向けの心臓ビューアの商品化を推進中。
平成30年度文部科学省科学技術賞研究部門「心臓シミュレータによる臨床研究」を他2名と受賞。